金春流宗家の金春家は、能楽の家の中でも最も古い歴史を誇る家系であり、世阿弥自筆能本や金春禅竹自筆の伝書を含む、膨大な能楽資料を伝えてきた。その文書の過半は維新後に流出し、現在は奈良県生駒市の宝山寺や法政大学能楽研究所などに分蔵されている。中でも、法政大学能楽研究所が所蔵する金春家旧伝文書(宝山寺より寄贈された般若窟文庫と、金春家より寄贈された文書群等から成る)は、分量において他を圧しており、世阿弥伝書『拾玉得花』の現存唯一の伝本や、金春禅竹自筆『二曲三体人形図』『明宿集』など、質的にもすぐれたものが多い。一方、金春家にもなお相当数の文書が現存することが近年の研究で明らかになっている。金春家伝来の文書の全体像を示すと、宝山寺蔵の約40点、能楽研究所蔵の約2380点(般若窟文庫分を含む)に対し、金春家に現存する金春宗家文書は約1660点で、能楽研究所分にも匹敵する分量に達する。法政大学能楽研究所では2014年に「金春家旧伝文書デジタルアーカイブ」を立ち上げ、能楽研究所所蔵の金春家旧伝文書を画像データベースとして公開したが、今回、上記の金春宗家文書も含め、新たに「金春家文書デジタルアーカイブ」を立ち上げることになった(初年度には金春宗家文書のうち、謡本のデータのみをアップ。次年度以降、順次データを追加予定)。「謡本・伝書・付・史料・その他」に分類し、横断検索が可能なシステムとしたのは前回の「金春家旧伝文書デジタルアーカイブ」と同様である。金春家文書のデジタル化とその公開が、これら貴重な資料の保存継承、及び能楽の発展に寄与することを願う次第である。なお、本デジタルアーカイブは、科学研究費補助金(基盤B)「能楽資料データベース構築に向けた金春家文書の総合的研究」(2015~2018年度。課題番号15H03182)(研究代表者・宮本圭造)、及び「能楽の国際・学際的研究拠点」(2022年度)(研究代表者・山中玲子)による研究成果の一部である。
宝山寺(奈良県生駒市)旧蔵の金春家旧伝文書群。幕末維新の混乱期にも金春家の文書は大半が奈良高天の金春宅にあったが、明治期に入って、その過半が宝山寺に移管された。従来は金春武三が宗家であった明治30年代の中頃、武三の兄にあたる隆範が宝山寺の管長を務めていた関係で、同寺に移されたと考えられていたが、近年の研究では、武三の父金春広成が奈良の居宅を引き払い、大阪に居を移した明治10年頃に宝山寺への文書移管が行われた可能性が指摘されている。宝山寺移管の金春家文書には、世阿弥自筆能本を含む貴重本が少なからず含まれており、1941年に川瀬一馬がこれを発見・紹介した折には、学会に大きな衝撃を与えた。川瀬氏の紹介は世阿弥自筆本を中心とする一部の資料にとどまっていたため、金春家旧伝文書の全容は長く明らかでなかったが、1956年に表章により全文書の仮目録が完成し、1966年には、一部の貴重本(世阿弥伝書・禅竹伝書・柳生流兵法伝書など)を除く2000点を超える文書群が一括して能楽研究所に寄託、1981年に寄贈され、多くの研究者が利用するところとなっている。能楽研究所では、これらの文書を宝山寺の別号である般若窟に因んで、般若窟文庫と称して保管している。
能楽研究所は、般若窟文庫以外にも数十点の金春家旧伝文書を所蔵している。宝山寺に移管されず、近代にいたるまで金春家に伝えられてきた文書が、その後、数次にわたって能楽研究所に寄贈されたもので、1963年、金春信高氏から寄贈された『二曲三体人形図』『拾玉得花』などの世阿弥・禅竹の伝書、法政大学鴻山文庫として能楽研究所が管理する禅竹自筆の『明宿集』、2008年、金春欣三氏から寄贈された『風姿花伝』『聞書色々』などの伝書群がそれであり、禅竹自筆の資料をはじめ、貴重なものが少なくない。
金春家文書の宝山寺移管後も金春宗家に残された文書。金春禅竹自筆の『六輪一露秘注』『六輪灌頂秘記』や豊臣秀吉朱印状(いずれも東京国立博物館寄託)、門弟から差し出された起請文など、家の伝来や家芸の継承に関わる重要文書が少なくない。特に「付」関係の資料が充実しており、その中には『流外物仕舞付』など、明治14年に金春広成が東京に移住した後、分家・別家から取り寄せた型付の類も含まれる。また、近代の資料にも見るべきものが多く、金春広成が書き留めた明治20年代の『諸用留』は、近代能楽史の第一級の史料である。